【為景連作】2:永正に起つ男たち(長尾景春と伊勢宗瑞)

小説/歴史創作戦国時代

この記事の最終更新日は【2021-07-21】です。

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「奸雄は笑う-越後守護代 長尾為景と男たち-」(仮題)用の短編。

長尾景春と北条早雲(伊勢宗瑞)の視点から見た、後輩・長尾為景に対する印象の話。
時期的には長森原の戦い直前頃にあたります。

前回
村上の白鬼(本庄時長)


五月雨の合間に珍しく晴れの日が顔を出した、永正七年(1510)の五月のことである。
相模国北部に位置する津久井城下を、一人の男が歩いていた。
男の名は長尾景春。かつて師とも呼べる五山無双の巨木・太田道灌を向こうに回し、関東の戦国時代の幕開けを作ったとされる彼も、近頃はすっかり老いが身体にのしかかってきている。
人生を狂わされることになった元凶である現関東管領の上杉顕定とも和解したはずの景春が、わざわざこの地で勢力を伸ばしつつある伊勢宗瑞の訪問を受けることになった理由はただ一つ。
越後の若き守護代・長尾為景が、助けを求めてきたからである。
ことの始まりは上杉顕定が彼の弟で越後国の先代守護がこの為景によって殺されたことを口実に越後へ攻め入り、圧政を強いたことである。
越後を追われた守護上杉定実と為景の主従は越中へとひとまず逃れたが、そこで終わるような為景ではない。すぐさま巻き返しを図るために宗瑞や景春といった面々に助力を求めてきた。
すでに顕定と和解していた景春は、この誘いに乗るか一瞬迷ったが、もとより顕定との和解は、当時主としていた古河公方や盟主の扇谷上杉家に梯子を外されて仕方なく行ったものだ。
悩んだ末、景春は為景に「時期を見て助力いたす」と返事を出した。
そして今朝方、同じく為景の協力者である宗瑞が訪ねてきたと聞き、出迎えにやってきたというわけだった。

同刻、流しの禅僧のような身なりの小柄な男が、津久井城に足を踏み入れていた。
皺だらけの目元から覗く光は鷹のごとく鋭い。
一見すると僧侶にしか見えないこの男こそ、景春を訪ねてきた伊勢宗瑞その人である。
のちに関東に覇を唱える小田原北条氏の祖となる男も、今はまだ今川氏の末席を担いつつ相模国の完全奪取を目論む一領主に過ぎない。
――津久井に陣とは、さすが。
木陰から城山を見上げると、宗瑞は感嘆のため息をひとつ、ついた。
相模川の流れを要害の一つとし、甲斐国への備えの最前線として相模国の北端を担う津久井城は、相模を手中に収めたい宗瑞にとって、いずれは手に入れたい拠点である。
駐在のための根小屋は山麓にあるが、そこの兵に尋ねたところ、意図は分からないが景春は山頂の本曲輪で宗瑞を迎えたいらしく、そこで待っているとのことであった。
山頂へ続く大手道を登ってゆくと、左手に米蔵が見える。
「あいすまぬ、本曲輪まではあとどのくらいかの」
宗瑞は補修工事の者らしき人夫に尋ねた。
「へぇ、真っ直ぐ上がってすぐでございますよ」
「かたじけない、では」
会釈をする人夫を背に、山頂への道をまた歩み出す。
坂を登り切ると、見晴らしのいい開けた曲輪についた。
おそらくここが、津久井城の本曲輪だろう。
門兵に来意を告げると、中へと通される。
昨日まで続いていた五月雨で嵩をました相模川の流れが、悠々と眼下に広がっていた。
その見晴らしに一人、甲冑姿の老いた後ろ姿が見える。
「伊玄殿、宗瑞にござる」
しわがれた声で呼ぶと、男が振り返った。
伊玄というのは、景春の出家名である。
景春は宗瑞を見ると、安堵したように鼻を鳴らした。
「津久井の陣におられると聞きましてな、会いに参ってしまった」
おどけて宗瑞がそう言うと、彼は申し訳なさそうに腰元の刀を弄った。
「戦支度の真っ最中でして、もてなしの一つもなく……すまんな」
「なんの、この景色こそが一番の手土産。津久井はまさしく要衝ですなあ」
「……わざわざ訪ねてきたというのは、他にもゆえあってのことだろう?」
探るような景春の言葉に宗瑞は「伊玄殿が呼んでおられる気がしましてな」と茶目っ気のある笑みを向けた。
かなわない、といった様子で苦笑した景春が、肩をすくめる。
歩を進めた宗瑞が景春の横に並んだ。
景春は宗瑞より十以上も年上だが、こうして並んで立つと宗瑞の方が老練に見えるのは、背格好のせいだろう。
景春はそれなりに上背もあり、昔はその見目から僧に言い寄られたことも数知れずであったという。
あるいは宗瑞の剃髪された頭も、要因の一つかもしれない。
この男は、見かけだけでなく生き様も禅的であると、景春は常々感じさせられていた。
ややあって、先ほどの問いに答えるように景春が空を仰いだ。
「宗瑞殿の意見をぜひ聞いてみたき義があってな」
「ほう、何事でありましょう」
山頂を吹き晒す風に目を細めながら、景春が単刀直入に切り出す。
「宗瑞殿、越後の若武者をどう見る」
「難しき質問ですな」
「あの熱心さには驚いた。よもや顕定殿の元に既に服していた俺を焚き付けるとは」
「そうは申せど、面白いとお思いだったから乗ったのではありませぬか、伊玄殿は」
「無論よ」
だが、と景春はそこで言葉を切った。
「あれに協力することでさらに焚き付けたのが、我々かもしれぬと考えると、恐ろしくもある」
「越後の混迷はもはや行く先が読めませぬからなぁ」
為景は若い。こたびのことも、若さゆえに主と衝突し、やむなく起きたものだろうという見方を示す者も少なくない。
彼自身の性質の問題というより、越後という国が抱えていた膿が、出るべくして表に出てしまった結果でもあるのだ。
だが宗瑞は、そうは思ってはいなかった。
そしておそらくは、景春もそこが引っかかっていた。
ゆえに宗瑞に、為景のことを聞いたのだろう。
宗瑞は、胸の内を隠さず明かすことにした。

「……やはり、そうお思いか」
「では、伊玄殿も?」
「正確には、そう「思い直した」というところだな。俺にはまだ……あの男のことは、わからん」
景春は、心底困惑しているようだった。
「為景という男、この先顕定殿を殺すことになったとしても微塵も躊躇いはないだろう。だが俺は……あれほど顕定殿を憎みながら、どこまでいってもその覚悟は持てなかった。あの男は違う。顕定殿をいかに口実を付けて殺し、自分に優位な政を行うか、無機質にそれだけを子供のような無邪気さで追い求めておった」
俺はそれを一人で抱えているのがたまらなく恐ろしくなった、と景春はこぼした。
「それで、わしに話を?」
「ああ」
震える声は続ける。
「我々のような、迷いがないのだ。人間らしい、ともすれば足を引っ張ってしまうような、迷いが。ゆえにあの男は強く、恐ろしい」
景春は為景のその迷いのない手腕に、どこか彼の亡き師であり好敵手――太田道灌の姿を重ねているらしかった。
道灌も、目的のためなら迷いをためらいなく切り捨てる男であったし、時として強引な手段を取ることも少なくなかったからだ。
もっとも宗瑞は、為景は景春が思うような男ではないだろうという風に感じていたが。
放っておくとそのまま道灌の話をし始めそうな景春を遮ろうと、宗瑞が咳払いをする。
「しかしあの年恰好で、そのような……即決果断は為景殿の気性でござろうか。だとしたら末恐ろしい御仁でありますなあ」
「そこよ、宗瑞殿」
「会うたときも、あの男はそういう生き物であった。間違いない」
「なんと、伊玄殿は彼の男と直接顔を合わせて来られたのか」
「数年も前の話だがな」
聞けば、五年前の三月、顕定と和睦しその幕下に入っていた景春の元に、関東へ援軍に来ていた長尾能景・為景父子が挨拶に来たことがあったという。
長尾一族は当時広く関東・越後諸地域に広がっていたが、景春と能景は従兄弟と血が近い。越後と関東の上杉・長尾両家は代々に渡って交流が深く、能景はその通例に従って、景春を誘ったのだ。落ちぶれていた景春に、越後守護代直々の訪問を断る理由もなく、景春は彼らと酒宴を共にした。
その夜能景はまだ元服したての為景を景春に引き合わせ、二人はしばし杯を傾けて語り合った。
景春の辿ってきた、抗い続けて泥土にまみれた生き様を、為景は静かに、だが食い入るように聞き入った。
酒が進むとつい人は気が緩むもので、景春はつい己が師と仰ぎながらも袂を分かたずにはいられなかった太田道灌の話を、この若き未来の守護代に語って聞かせてやった。
為景はその話にいたく感銘を受けたらしく、去り際に景春の手を取ると、丁重に礼をして越後へと帰っていった。

「左様でありましたか」
「さしずめ、顕定殿は今あの男の前に立ちふさがる山であろう」
今頃は俺の話を反芻しておるかもしれんと笑う景春に、宗瑞もつられた。
「我らの前には、常に道灌殿という巨峰がそびえておられましたな」
「あの方を失ったがゆえ、俺は今ものうのうと生きておれる。だが……そのために関東は、ますます混迷を極めた。道灌殿がおれば、と何度思ったことか」
「わしも、もっとお話しがしたいと望んでおりました」
「……越後の若武者にも、そのような者がいるかと、俺は聞いてみたことがある」
「ほう。して答えは?」
宗瑞が促すと、景春は一瞬押し黙ってから、ぽつりぽつりと述懐し始めた。
「奴が殺した前守護の房能殿でも、顕定殿でもなかった。あの男にとっては、彼らは目の上のたんこぶであってもそびえ立つ壁でもなんでもなかったのだ。奴は……「我が前にいたのは村上の鬼、ただ一人」と答えた」
「鬼?」
宗瑞が怪訝な顔で次の句を促すと、景春はわざとらしく為景の口調を真似て続ける。
「己が手に必ず掛けたいと、そう願って止みませぬ。あの者はそう言った。それはもう恍惚とした顔でな」
「ほう」
「恐ろしいことだろう?まだ起きてもいない国内の叛乱分子を、自ら手に掛けたいなどと言ったのだ。誰あらん、俺に向かって」
今でこそ齢二十一を重ねる為景も、当時はまだ初陣を済ませたばかりの初々しい少年であった。
だが景春に向けられたその言葉は、いくら将来を約束された守護代の子息の意気込みとしてはいささか不穏に過ぎる。
なにしろ告げた相手は時の関東管領を向こうに回し、関東を争乱の巷に放り込んだとまで言われる景春である。
両上杉の和睦により抗争への意欲を無くしかけていた景春にとって、その発言はあまりいただけないものであったことは宗瑞にも容易に想像がついた。
「それで、伊玄殿はなんとお答えに?」
「無闇にそういうことを言うものではないと言ったら、すこし気恥ずかしそうにしておったな」
「伊玄殿は話しやすい雰囲気をお持ちですからな。つい気を許してしまったのでしょう」
「宗瑞殿、貴殿はまたそうやって人の気を良くさせようとする」
景春は面映ゆそうに顔を背けたが、宗瑞は実際のところを伝えたにすぎない。
景春という男は関東管領の家宰を勤めた白井長尾の惣領という高い地位に生まれながらも、どんな者とでも打ち解けてしまえる不思議な懐の広さがあった。
そうでなかったら、何度死地にまみれて命を落としかけてたとしても、長きにわたりしぶとく関東管領と渡り合うことなどできなかっただろう。
しかしそれにしても、為景がそうまでしてその男を手に掛けたい理由は何故なのだろう。宗瑞にはそこが不思議だった。
村上は、北越後の国衆・本庄氏の治める地だ。
本庄氏は遠く鎌倉の御世からこの地を治めている自負からか、室町幕府により守護代長尾氏が越後府中に入部して以来何かあると府中勢力に反抗を繰り返している。
景春が為景に会う数年前にもちょうど、時の当主である本庄時長が、長尾能景の主・上杉房能に対して牙を剥いたばかりだ。
房能はその後始末を能景に丸投げしたが、おそらくその理由は兄である関東管領上杉顕定の支援をすることにしか意識が向いていなかったためだろう。
――能景殿は、梯子を外され本庄と折衝をさせられたのか。そこへ関東出兵、そして、越中への派兵で帰らぬ人となった……
宗瑞は、為景が父能景を煩わせた「村上の鬼」とやらにいたく憎悪を抱いており、そのため景春にあんなことを言ったのだろうかとぼんやり考えた。
思案顔の宗瑞をよそに、景春は続ける。
「こたびの顕定殿撃退へ合力を頼まれた折、為景殿から手紙を送られたのだがな」
「それはまた、直裁な」
「やはりあの男はそういう性分なのだろう」
「して、それには何と?」
宗瑞が先を促すと、能景殿の名代として訪なって来た時の話の続きが書かれていた、と景春は言う。
照りつける日差しが、顔を突き合わせて息を呑む老木二人に容赦無く降り注いだ。
「我が手で退治た鬼が、我が師父にござる。あれほど阿呆で面白き男は他におらなんだ……あの男は、そう書いて寄越したのだ」
「……伊玄殿はからかわれたのでありましょうや?」
「俺も初めはそう思った。が、「為景殿に退治された鬼」……先程の話に心当たりがなくもないだろう?宗瑞殿」
思わせぶりに目配せをされた宗瑞はしばし思案顔をしていたが、やがて顔を上げるとぽつりと景春に呟いた。
「……揚北の、本庄時長殿のことですな?」
「それ以外、あるまい」
「それでは、為景殿はもしや」
憎悪ではなく、師と慕う者を自らの手で打ち倒したいと望んでいるのだとしたら。
宗瑞には、嫌というほど思い当たる節があった。
今となってはもう、けして叶うことのない、だが渇望してやまない衝動が。
――わしも、道灌殿を、この手で……
宗瑞の表情の意味に気づいた景春も、固唾を呑んで黙り込む。
彼もまた、思いは同じだっただろう。
そのまま、傾きつつある太陽を背に、二人はしばらく言葉もなく立ちすくんでいた。
やがて、意を決したように宗瑞が顔を上げ、景春を見上げる。
「伊玄殿、我らが歩み、何としても止めてはなりませんぞ」
「無論、そのつもりだ。彼の男がいかに顕定殿と対峙するか、見ずには死ねんさ」
答えた景春の顔は、これまでのどれよりも険しいものであったが、なぜかその口端には歪んだ笑みが浮かんでいた。

この歓談より二ヶ月と経たず、関東管領・上杉顕定は、佐渡より舞い戻った為景に追い詰められ、上野国長森原で攻め殺されることとなる。


次話、「長森原の悪夢」(上杉顕定)に続く。(執筆中)

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