【三好主従】残影

小説/歴史創作戦国時代

創作戦国 松永久秀×三好長慶

長慶死後の久秀のなんでもない独白

久秀は長慶様の死をうまく認識できてないといい。


あの方と初めて出会った時のことは、今でも鮮明に覚えている。

あれは、弟と共にようやく居場所を見つけて落ち着いてきた、ある春のうららかな日のことだった。
俺たち兄弟を取り立てて重用してくれている主・三好元長に「ぜひお前に頼みたいことがある」と言われて意気揚々と主殿に向かうと、主の横には彼の面影を宿す小さな少年が一人、年端に似合わぬ落ち着きをもって座していた。

主は俺に、息子の面倒をみてくれないか、と頼んだ。
その時は正直、がっかりした。
三好の家というよりは、元長様個人に仕えているという気のほうが強かった俺にしてみれば、いくら彼の息子とはいえ元長様の側を離れて子守をさせられるなど、左遷に等しい思いだった。

が、この少年は並外れて聡く、落ち着き払っていて、幼いながらも父の抱える諸々の問題について打開策を考えて見せるような、どこか「俺好み」の人物であった。
もとより主が俺を彼に付けたのも、そこが要因であったのかもしれない。
ただ、ふとしたときに、彼はとても脆かった。
自分の脆さに気づいてすらいないようで、俺は単に任されたという以上に、脆さに気付けないこの方を、誰が支えずとも俺が支えねば、と思うようになっていった。

俺があの方の傅役となってからしばらく、二人の間柄も慣れてきたころ、主の元長様は政争に敗れ、自ら腹を切って果てた。
最期に元長様はまだ元服も迎えぬあの方を俺に託し、一人で手の届かないところまで行ってしまった。
何一つ、恩は返せていないというのに。
俺たち兄弟は、深い悲しみに囚われた。
だのに、元長様から託された彼はというと、自らの父親の死を前に泣き暮らすでもなく、我々兄弟や己の弟への気配り……次期当主としての風格を、これでもかというほど周囲に印象づけた。
時折二人きりになったときに悲しげな顔をしてみせるのが、あの方の精一杯の表現だったが、今にして思えばこのときから、あの方の心が壊れてしまう片鱗はあったのかもしれない。

元長様を討った男たちに頭を下げて、味方のような顔をして、息をひそめること数年。

――久秀、父の仇を取ることが出来たのはお前が代わりに怒ってくれたからだ。

管領や、将軍家を上回る力を見せつけ、畿内に君臨していたころ。
あの方は、背負う物に荷の重さを感じているらしかった。
どんなに足掻いても彼の駒でしかない俺はそれを肩代わりすることすらできない。

――久秀、大樹を京に迎えようと思う。

俺にとっては将軍などはどうでもよかったが、そうすることであの方の重責が和らぐのなら、それでいいと思った。
周りのお偉方は「それでは三好家の力が失墜しかねません」などと言ったが、武力で劣る将軍家に今更何ができる。
この時の俺は、権威や将軍と言った畿内に渦巻く海千山千の生き物を甘く見ていた。

ある時、あの方は、将軍に命を狙われた。
そこから、あの方の心に、闇が深くなっていった。
俺や、実弟の言葉であっても、二、三確認をしないと信じないようになった。
畿内で君臨するということは人を人と思わず、そういうものだろうと、俺はまた甘く見積もっていた。
誰よりも、実弟たちよりもあの方の心の近くにいたのは俺一人だというのに。

実休殿が戦死し、一存殿が落馬事故で亡くなり、嫡子の義興殿までもが亡くなると、あの方の心は本当に壊れていってしまった。
でなければ、俺のいない隙をついて最後に残っていた弟の冬康殿を自ら殺すなど、あの方のなさることだとは思えない。
巷ではこれらの行いは俺の陰謀だとか囁く者もいたが、事情を知らない者には俺が成り上りの権力欲の塊にでも見えたのだろう。
あの方と共にある以外に生きる道をしらぬ俺は、流行りの下剋上なんぞにはまるで興味がなかったというのに。

俺にとって唯一の救いは、すっかり壊れてしまったあの方の中で、生きる最後のよすがであれたことである。
あの方は、冬康殿を手に掛けてから、自分が怖い、とこぼすようになった。
誰かに優しくなれない自分が、どうしようもなく許せないのだと。
そのうちお前のことも傷つけてしまうのでは、殺してしまうのではと。
俺はあの方にであれば、いくらでも命など捧げると伝えたが、優しいあの方は俺を遠ざけて、実権は三好三人衆が握るようになった。
俺は、あの方の葬儀にすら、参加できなかった。

信貴の山に築いた天守の茶室で、目を閉じると、今もあの方の声が脳裏に響く。
別れを告げられなかったのだから、俺の、私の中では、彼はまだ、死んでいないのだ。
世を賑わせる仮初めの主たる信長は私をいたく気に入っているらしかったが、私の心はあの方とともに、あの日、あの方と最期に言葉を交わした飯盛山城の一室に置いてきたのだ。

瞳を閉じれば、今もまだ、優しい声がする。
私を呼ぶ声はいつも、幼い頃と変わらないまま甘やかに響いた。
あの方の心を殺したのはこのろくでもない畿内という怪物であろうが、どうにかして私は彼の心を救えなかったのだろうかという自問は、止むところを知らぬ。

平たく潰れた蜘蛛を模した茶釜から、湯の沸く音がして、私の意識は色を失った世界へと引き戻された。

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