【Hades/アキレウス】work/office

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#hadesweekly 12/9「仕事・職場」

職場に向かう師匠のとある一日。


これは冥王の館の守衛の、なんでもないある日の記録である。

愛しい男との逢瀬を楽しんだ休暇ののち、持ち場へ戻るべく館の廊下を進む。
酒場の奥からは料理長が魚を捌く音。我が優秀な愛弟子がまた大漁に釣り上げては納品に来ていたのだろうか。
その少し手前、メガイラがひとりちびちびと仕事の疲れを癒している横では、件の王子が今期の最優秀使用人として表彰されていた。
今日の職務をつつがなく終えた安堵か、はたまた表彰された王子に思うことがあったのか、普段は険しい彼女の顔付きはいつになく柔らかい。
酒場の前を抜けて冥王の玉座の間に至ると、珍しく主は不在だった。
三つ首の番犬は揃ってうたた寝に興じながら、左の頭だけが片耳と片方の瞼を持ち上げてこちらをうかがっている。
館を見張り、亡者の脱走を防ぐという点においてアキレウスと彼は同僚である。
しかし、いかに怪物じみた巨体と、三つの頭を持とうとも、飼い主への忠誠は普通の犬と変わらず厚いと見える。
アキレウスが衛兵として雇用されてからかなり経つが、警戒を完全に解いてくれる気配がないことに、彼は一抹の寂しさを覚えた。
この件に関しては、生前多くの犬の世話をしていたパトロクロスの意見を聞いてみたいものだ。アキレウスは早くも次の休暇が楽しみで仕方なくなってきた。
ケルベロスの前を通り過ぎれば、巨大な鏡の前にある持ち場はもう直ぐ目の前だ。
冥王の私室に繋がる道に飾られている絵画や置物を、デューサが今日もせっせと掃除しているのが目に入る。
ザグレウスの冥界脱出が正式に職務と認められてから、彼女も随分と楽しげに仕事をするようになった。
顔をほころばせながら右方を見やる。
珍しいことは続くもので、多忙で知られるタナトスがステュクスの流れをぼんやりと眺めて休暇を取っていた。
傍らのテーブルに葡萄酒の杯が二つあるところを見るに、つい先程まで”誰か”と晩酌をしていたのだろう。
そこへひょこひょこと、職務を投げ出した眠りの神が兄に構って貰いに来る。
「わあ葡萄酒だ。ボクも飲んでいい〜?」
かつての死神であれば邪険に追い払っていただろうが、しかし彼は黙って弟の為に杯に酒を注いだ。
なんとも微笑ましい光景に、アキレウスの胸の内も温かくなる。
こうして神と肩を並べてせっせと働くなど、生前の自分が聞いたら鼻で笑いそうだ。
それでも、どうしてだろう、あの栄光に包まれた戦場にいた時よりも、”恐るべき”冥府の神々に囲まれている今の方がよほど気楽でいられるのだから不思議なものだ。
「アキレウス!帰ってたのね、おかえりなさい」
物思いに耽る衛兵にふいに声をかけてきたのは、冥王の妃である。
彼女は夫の私室から出てすぐ、こちらの姿を見つけると、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「休暇は楽しめたかしら?何か不自由していることはない?」
彼女のこの細やかな気遣いと、冥界にあっても明るさを周りにふりまく神気に、アキレウスはいつもどこか懐かしさのようなものを感じてやまない。
それはどこか、彼の母である海の女神に通じるものがあった。
――母上は、息災だろうか。
無理だろうと思っていたパトロクロスにすら再会できたのだ。
ましてや母は亡霊ではなく神である。ひょっとしたら、と思ってしまってはたと気がつく。
最愛の男との一件ですっかりしおらしくなったつもりでいたが、限りなしとされる人の欲望の中でも、生来自分はとりわけ欲張りな方だったのだと。
死したところで簡単には変わりそうもない我の強さに自嘲したアキレウスを見つめるペルセポネの瞳は、ただただ不思議そうだった。

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